二次元の美少女とは何なのか?(イデア論編)

2019年2月16日土曜日

イデア論 コラム サブカルチャー 哲学




アニメやゲーム、漫画などのサブカルチャーと呼ばれるものには数多くのキャラクターが存在する。例えば現実ではありえないような能力の持ち主であったり、動物が人間の言葉を話したりする。魅力的な世界である。
そんな魅力的な世界であるために、二次元の世界に没頭する者達が居る。オタクである。
そしてそんなオタクが愛してやまないサブカルチャー的要素の一つとして、美少女がある。

しかしその美少女とは二次元の存在であり、私達の世界には存在しない。
オタクはなぜ絵に書かれただけの存在を美少女として認識するのだろうか?
その思考について考察してみた。

(ちなみにこの話はキャッチーさを求めて美少女をメインテーマとしているが、別に美少年でも猫でも犬でもゴリラでもかまわない)




定義


Wikipediaではこう定義されている。
美少女(びしょうじょ)は、一般に容貌の美しい少女を指す。広く「美しい女性」を意味する美女や美人のうち少女の年齢を指し、美少年に対義する概念としての少女でもある。

二次元で使用される際は年齢に関してはあまり触れられないような気もする。
ちなみに文章ではわかりにくいため、美少女を作ってきました。
制作ツール:きゃらふと

私の感性がおかしくなければ、これが二次元における美少女キャラクターである。
このキャラクターを見た時にどのように感じただろうか?
美少女を見たときに起こる脳内処理について、おそらくではあるがこのようなプロセスが発生していると私は考えている。

◆1,全体の色の認識
◆2,体型の認識
◆3,顔の認識
◆4,細部の認識
◆5,存在に対する定義

まず始めに、全体の色を見る。これによりこのキャラクターを構成する色を判断する。このキャラクターでは、黒・肌色黄色である。この段階では色の細かさに関してはほとんど認識していないと思われる。このキャラクターの一部分には深い緑色が使われているが、ぱっと見コンマ数秒でわかるだろうか?

次に、体型を見る。このキャラクターの場合は少し分かりづらいかもしれないが、全体的にどのような”感じ”なのかを認識する。

次に、を見る。これは2番と順序が逆な気がしないでもない。しかし細かい部分にまで気配りができるようになるのは、全体を確認した後だろう。

次に、細部を見る。例えば、手だとか、足だとか、全体を捉えただけではわからない部分を細かく認識する。こう言うと少し変態っぽい。

最後に、存在の定義を行う。このキャラクターは人であり、女性であり、金髪であり……などなど。この時点でキャラクターに関する印象はほぼ全て決まる
これらの処理はコンマ数秒~1秒ほどで行っているのではないかと考えているが、神経科学などに関しては完璧な無知なのであくまで推測である。

いよいよ本題だが。

なぜ、このキャラクターをと思うのか。
なぜ、このキャラクターを女性と思うのか。

ということに関して、イデア論ステレオタイプ(思い込み)の2つの視点で考えてみようと思う。
しかし2つを一気に紹介すると長くなってしまうので、このページではイデア論をメインに語ろうと考えている。

イデア論


イデア論とは、ギリシアの哲学者であるプラトンが唱えた学説である。
プラトンの思想の中核となる言葉で、不完全な現実の世界に対して、完全で真実である世界をイデアといい、プラトンによればそれは実存するのだ、という。彼はそれを説明するのに、有名な「洞窟の比喩」を使う。つまり、仮に牢獄である洞窟に閉じこめられていて、外の世界を知らない人は、外界から差し込む光による影だけが現実のものとして映る。それと同じように、実際の人が見ている現実は、イデア界の影にすぎないのだ、という。

ちょっと何を言っているのかわからないかもしれないが、噛み砕いて説明すると。私達が見ているものや感じているものはあくまで不完全なものであって、完全なものはイデアと言われる場所にあり、私達はイデアの移した影を見ている。という考え方である。
洞窟の中で人の影を見ていたとしても、その影は本物の人ではないだろう?

三角形のイデア

よくわかりやすい話に、三角形のイデアというものがある。
紙とペンを用意しよう。スマホの手書きメモでも構わない。
そして三角形を書いてみよう。するとどうだろうか、三角形が書かれているではないか。
調子にのって四角形も書いてみよう。すると、やはり四角形が書かれているではないか。

ちなみに、その書いた三角形と四角形は完璧なものではない。断言しよう。
どんなに綺麗な三角形でも細かく見てみるとズレていたり、線の幅がおかしかったり、ちょっと歪んでいるだろう。これは三角形である。でも、完璧じゃない

私達は完璧な三角形も、四角形も書けないし、作れないのだ。例えば町中にある三角形のオブジェだって、歪みはなくても欠けていたり汚れていたり、そもそもミクロ視点で見てみると丸の集合体であって、やはり三角形じゃない
この世に完璧な三角形や四角形など、そもそも存在しないのだ。

しかし、私達は頭の中で完璧な三角形を想像することができる。
これがイデアである。

イデアと美少女キャラクター

話を戻して、このイデアとキャラクターに何の関係があるのかを考えていきたい。
私達は人を思い浮かべることができるし、女性を思い浮かべることもできる。しかしながら、あのキャラクターは人とも女性とも遠いと思わないだろうか?
現実に存在する人とあまりにもギャップがあるのではないだろうか?

現実の人間はあんなに目が大きくないだろう?
あんなに鼻が見えないほど小さくはないだろう?
唇が小さすぎるだろう?
しかし、あれを私達は美少女と認識できる。として認識出来てしまうのだ。

何故、そう認識できるのだろうという一つの答えが、イデアなのである。
私達は先程の三角形のように、見るものが完璧でなくとも、そう認識してしまうのだ。
例えばおにぎりがある。おにぎりは三角形である。
しかし、おにぎりは三角形だが角は丸いし、下手な人が作ると丸みを帯びた三角形になる。それでもおにぎりは三角形だと認識できる。

つまり先程の美少女キャラクターも同じなのだ。あのキャラクターは完璧ではない。まず絵なので人ではないし、人としても女性としても想像からはかけ離れている。しかし、長い髪であったり、低い身長であったり、スカートであったりと、イデアを思わせる箇所をいくつも盛り込むことにより、私達はあれが人であり女性であると認識できるのではないだろうか?

本当はあの絵をどう認識するかなんて私達の勝手である。
男性だと認識しようが、だと認識しようが、チンパンジーだと認識しようが。
あの絵は巨大な船を表していると認識しても良かったはずなのだ。
しかし私達はそうしなかった。これがイデアの影でなく、何だと言うのだろうか?

まとめ


このような絵に対する存在感については様々な議論があると思う。
特に絵というものは大昔から書かれてきた、ナスカの地上絵やミステリーサークルのように地面に書かれるものや、壁に書かれるもの、紙に書かれるものなど、時代によって表現は様々である。

個人的な話、今回のイデア論による絵への認識という考えは、考えてみただけであって、私はイデアによって絵がこう認識できるとは考えていない。
これについては次の考察で話そうと思う。

この記事は前編です、後編はこちら

参考