他人の恥ずかしい場面で自分も恥ずかしくなる:共感性羞恥

2019年2月28日木曜日

コラム 共感 神経科学




「他人の恥ずかしい場面を見るのが苦手」
そういう話は昔からよくあった。テレビの中の芸人がネタで滑ってしまうと、なんだか落ち着かないし、いたずらでシールを貼られた友人がそれに気づかずに街を歩き回っているのを見てもやっぱり落ち着かない。

その失敗や恥ずかしさに共感してしまう人たちが居る。
恐らく、私もそうだろう。
では、そんな厄介な現象は何故起こるのか、それについて表面的ではあるが考えていこうと思う。




共感性羞恥とは


共感性羞恥Vicarious Embarrassment又はEmpathic Embarrassment)とは、他者が恥をかいている(又はそう思わせる)場面を見ることで、自分自身もいたたまれなくなってしまう現象である。

例えばバラエティ番組などで、誰かが辱めを受けるシーンなどを見る際に、居心地がわるくなってしまい、見ることができないということがよく挙げられる。他には現実で怒られている人を見る時などにも起こると言われている。

この感覚は共感性羞恥としてインターネット上で広まっているが、学術的なものはほとんど見かけない。しかしアメリカにおいてはVicarious EmbarrassmentとしてWikipediaに名前があるくらいには知名度があるようだ。

WikipediaではVicarious Embarrassment(以下、共感性羞恥としてまとめる)は以下のような状態であると書いてある。

Vicarious embarrassment (also known as secondhand, empathetic, or third party embarrassment) is the feeling of embarrassment from observing the embarrassing actions of another person. Unlike general embarrassment, vicarious embarrassment is not caused by participating in an embarrassing event, but instead it's caused by witnessing (either verbally or visually) another person's experience an embarrassing event. 

これによると、共感性羞恥とは他者の恥ずかしいとされる行動を見た際に、自分自身も恥ずかしくなってしまうという現象であり、一般的な恥ずかしさとは違い、恥ずかしいとされる事に参加することによる恥ずかしさではなく、目で見て、耳で聞いて、自分自身が恥ずかしい経験をしていると感じるもの。ということらしい。

今回はこの共感性羞恥というものが何なのかを考えていきたいと思っている。ただし、未だにどうして起こるのかはよくわかっていないらしく、これらの情報が根本的に間違っている可能性もあるため、詳細は各自調べていただきたい。

共感性羞恥と共感性


共感性羞恥という名前である以上、共感性との関係は避けては通れないだろう。ちなみに、共感性羞恥の共感と、通常の共感性については、関係があるかどうかは今の所判断しかねる。

共感性羞恥について調べた論文では以下のように書かれている。長くなってしまうので研究の内容自体を知りたいのなら、申し訳ないがサイトに飛んでいただきたい。

Importantly, the activity in the anterior cingulate cortex and the left anterior insula positively correlated with individual differences in trait empathy. The present findings establish the empathic process as a fundamental prerequisite for vicarious embarrassment experiences, thus connecting affect and cognition to interpersonal processes.

この研究によると、共感性羞恥の起こりやすさ特定の共感性とは共通点があり、共感性羞恥は前提としてまず共感があり、それを対人関係に結びつけることによるものとされている。

現在は痛みを共感する時に起こる脳の反応と、共感性羞恥を感じる時に起こる脳の反応は一致しているという考え方が多く見られる。共感性が高い人ほど、他者の恥ずかしさに対して反応しやすく、これらを利用したシーンなどに対して高い苦痛をもたらすとされている。

そのようなシーンを面白がって見る人もいれば、見ていることで実際に苦痛を感じる人も居る。耐えかねてそのシーンを飛ばしたり、テレビであればチャンネルを変える。そもそも見なくなるなど反応は様々だ。

一方で共感性と一部の共感性羞恥の関係はあまりないとされる研究もある。

例えば、恥ずかしい行為を本人は恥ずかしいと思って行っていない人(A)と、恥ずかしい行為を本人が恥ずかしいと自覚して行っている人(B)を見た時の共感性の関係については、Aは共感性との関係がみられたものの、Bに関しては共感性による差はあまりなかったとされている。

共感性羞恥の感じやすさ


共感性羞恥の感じやすさは、状況や関係によって変化することが確認されている。

ある実験では、他者との心理的距離を3グループに分け、それぞれのグループがどれくらい共感性羞恥を感じやすいかを検証した。
グループは

◆1,心理的に最も近い群(家族)
◆2,心理的に中程度に近い群(友達)
◆3,心理的に最も遠い群(見知らぬ人)

に分けられ、誰の恥ずかしさに一番恥ずかしさを感じるかというものである。

結果としては、家族の恥ずかしい行為に一番共感性羞恥を感じ、次に友達、見知らぬ人と続いた。心理的距離によって、私達が感じる共感性羞恥の度合いは変わることが確認できた。

つまり私達は心理的に距離が近い人が恥ずかしい行動をした時に、同時に恥ずかしさを覚えるということである。

HSPとの関係性


HSPとは高い感受性を持つ人達のことであり、病気ではない。男女差はなく、20%の人が持っていると言われている。

共感性羞恥が共感性によるものなら、HSPの人たちは普通の人達よりも共感性羞恥を感じやすいのだろうか?

結論から言ってしまうと、色々と調べたがHSPと共感性羞恥の関係を示すものは見つからなかった。ただし、共感性羞恥が共感性によるものであれば、HSPの人は普通の人よりもより高い共感性羞恥を感じている可能性は高いと思われる。

自閉症スペクトラムは共感性羞恥を起こすか


では逆に自閉症スペクトラム(以下ASD)は共感性羞恥を起こすのだろうか?

これについては興味深い話が多く、ASDの人たちは共感性などが欠如していると言われているが。結論から言うと共感性羞恥を起こしている可能性が高い

People with autism are good at guessing someone else’s degree of embarrassment, the researchers found. They also experience an unusually high level of empathic embarrassment, cringing much more than controls do when watching someone else perform a silly dance, for example.

これによるとASDの人は一般の人よりも強く共感性羞恥を感じ、他人の感情には影響を受けるということが確認された。しかしながら、自分自身の恥ずかしさを録画した動画を見た際には、普通の人よりも恥ずかしさを感じにくかったらしい。

ただ、この実験では参加した人数は31人程度であり、共感性羞恥を感じる強さに関しては、正直まだ個人差の可能性が高いのではないかと言わざるを得ない。ただし、ASDの人も共感性羞恥を感じているという事自体は事実だろう。

ということは共感性羞恥と共感性にあまり関係がないのか?
と思われるかもしれないが、そもそもASDの人も相手の感情や状況が理解できる可能性もある。

まとめ


メディアで話題になり有名になった共感性羞恥だが、それ自体には謎が多い。というか、調べてみれば見るほど誰にでも起こるという事がわかってくるだけで、特定の人に起こるような現象ではない事が理解できた。

しかし、この現象が特定の共感によってもたらされているのは事実であり、それを制御するのは難しいと考える。この感覚が強いのなら、少しバラエティーなどとは距離を置いてみるといいかもしれない。

今回は内容が多岐にわたるため、それぞれの研究などは概要的に端折って説明したが、参考より原文を無料で観覧することができるため、興味のある人はそちらも見ることをおすすめする。

参考